2014年12月26日金曜日

久米田池は、鷺のパラダイス

 大阪府岸和田市の久米田池は、府下最大の面積の池(周囲2.6㎞)で冬季は、多くの野鳥が飛来すると聞いてカメラスケッチに行ってきました。
灌漑池として8世紀に人工的に造られた池ですが、この時期、北側の一部にしか水がなく、せっかくの池が沼地化しているのが残念でした。水深が浅く多くの野鳥が、養魚している河内ブナなどの小魚食べ放題で鷺にとってはパラダイス状態でした。


釣り公園?
 いろいろな鷺が堤防に並んで捕食待ち中。釣り公園の風景と同じに見えました。


休憩中
 白鷲の集団が、水際で休憩中でした。



潮干狩り?
 水深が浅いのでいろいろな野鳥が、こうして捕食しています。大にぎわいの潮干狩り場のようです。奥の集団は、用心深いカワウの集団です。


シンクロナイズドスイミング
 鷺は、集団で漁をします。並んでゆっくり歩いて魚を追い立てながら捕食します。等間隔で歩く様は、見ようによってはシンクロナイズドスイミングにも見えます。






ミーティング?
 漁の前にリーダーが、ミーティング中?に見えました。


これも漁!
 鷺は、羽を広げたり足で足元をかきまぜたりして魚を追い立て捕食します。


GET!
 小魚を捕まえた瞬間です。

鷺三態
 白鷲は、羽を広げると美しいです。




ヘラサギ
 地元の野鳥ファンからヘラサギが、一羽飛来していると聞き、探したところはるか遠く池の中ほどに発見。滅多にお目にかかれない鳥だと聞いて粘りましたが、近くには来てくれないのでコンデジを×60にしてやっと捕獲。くちばしが、三味線のバチ様で不器用に泥の中をさらっていました。


今回は、鷺にスポットをあてましたが、久米田池には他にも多くの野鳥が飛来しています。


2014年9月27日土曜日

難波八阪神社、ど迫力の獅子殿にびっくり!

 大阪の隠れスポット、大阪市浪速区元町2丁目9-19の難波八阪神社にて、ど迫力の獅子舞台をカメラスケッチしてきました。
高さ12メートル、幅7メートル、奥行き7メートルで鉄骨・鉄筋コンクリート昭和49年に完成し、平成20年に改修されたものだそうです。

獅子舞台全景
 正面は、こんな感じです。口が、舞台です。


ちなみに口の中は、こんなことになってます。この舞台で雅楽や獅子舞などが奉納されるそうです。



食べちゃうゾー
 走る子供で恐さを表現しました。


社殿と共に超広角で撮ってみました。



分身の術?
 同じ人を多重撮影してます。獅子も困った顔に見えます。


とぼけた鬼?
 正面の石灯籠越しに撮って見ました。なぜか、とぼけた鬼の顔になりました。


 鼻のあな~
 写真では、暗くて見えませんが穴の奥にはスピーカーが、見えます。へんなの。


目くそ着いてますけど
 実はハトが、よく留まっています。黒目の部分は、ライトが内蔵されていて祭りの夜などに光ることがあるそうです。普段の夜間は、境内には入れませんし目は光ってません。


こらぁ~
 露光間ズーミングという撮影テクニックで怒らせてみました。


歯医者さんにほめられる歯です
 横から舞台を撮ってみました。見事な歯並びでした。


馬も驚いてます
 馬の像越しに撮ってみました。今にも駆け出しそうな馬の像です。


弱い犬(狗)ほどよく吠える
 狛犬が、獅子頭に向かって吠えているように撮りました。 


 狭い境内ですが、大阪らしいユニークな神社です。難波から近くなのに訪れる人が少ないのは不思議な感じがします。外国人観光客のほうが多く感じました。ぜひ立ち寄っては・・・・・・。

2014年8月3日日曜日

泉佐野市の「野出墓地」はある意味ワンダーランド

 大阪府泉佐野市内の「野出墓地」という墓地に立ち寄る機会があり、調べるほどにすごいと関心させられたのでそういう視点でカメラスケッチしてみました。

 場所は、関西国際空港連絡橋の入り口北東400m位のところですが、昔は、海岸沿いに所在していたそうです。広さは、約6000平方メートル、墓地内には松の木が7本あり海岸に位置していた面影を忍ばせています。墓地内は、新旧墓が雑然としていて無縁墓を含め墓石が約5000基あるといわれています。
しかし、和泉砂岩という加工しやすい石の墓は、多くのもので剥離がすすんでいました。
300年以上前の年号が読み取れにくくなっています。古いもので寛永の年号(1624)年も。
 松の木は、「野出の三昧松」と呼ばれ、昔、船漁師が、漁や寄港の目印としていたそうです。現在 は、上部は、切られたか、朽ちたのか低くなっていました。
ちなみに三昧(さんまい)は、江戸時代の火葬場の呼び名です。
手前の先の尖った墓は、軍人さんの墓で北側に集中しています。奥に見えるのは大きな墓ではなくりんくうゲートタワービルです。


 六観音六地蔵
 入り口入ってすぐの参道の両側に墓地としては巨大な石の六観音六地蔵が目に入ります。
驚くなかれこの石像は、元禄8年7月とあり(1695年)300年以上前のものなのです。


三昧場(さんまいば)
 今どきこんなものが現存しているのにびっくり、いわゆる火葬の台です。昭和27年に市内の壇波羅火葬場ができるまで使用していたそうです。
中央の蓮台は、座棺用、その左右の台座は、寝棺用とのことでした。蓮台は、生々しく焦げていました。左右の阿弥陀如来様には、元禄11年と刻まれています。




丑の刻参りの切り株
 参道入り口両側にある切り株は、イブキの木で昭和22年ごろまで「丑の刻まいり」の木として夜な夜な怨念の藁人形が、5寸釘で打ち込まれていたそうです。


サイコロ型墓石
 他の墓地ではあまり見かけない正四角柱に近いサイコロ型墓石が多く見受けられます。
みるとほとんどが釈号。ということは、浄土真宗。三昧場があることも頷けます。


豪商「和泉屋」さんの墓
 江戸時代この地に「食野家(めしのけ)」という楠木正成の子孫で廻船業や両替商を営む和泉屋という屋号の豪商(東の三井、西の和泉屋といわれるくらい)が、この墓地に墓を置いています。
個人墓または夫婦墓で結界をつくりように墓地内では異彩をはなっています。




豪商「橘屋」の墓
 食野家と肩を並べる同地の橘屋「唐金家(からかねけ)」と思われる墓。食野家は、至る所で見受けられますが、探したところおそらくこの一帯が、唐金家と思われました。



 両豪商は、多くの大名貸ししており、幕末に莫大な金を踏み倒され没落したとのこと。両家が、現代も健在であればおそらく世の中が変わっていたでしょう。

さまよえる墓
 さすが300年以上の歴史があるだけに無縁墓もハンパな数ではありません。無縁墓の隙間には骨壺も散見されるなど。墓の存続問題にも一石を投じる風景でした。





ご先祖様集合写真
個人墓や夫婦墓が多いので一族の寄せ墓が、ご先祖様の一堂に会した集合写真のように見えました。




墓という墓標の墓
 墓という墓標の墓を見つけました。こんなのあまり見たことありません。


地蔵墓
水子や子供の墓(地蔵尊)いたるところにあります江戸時代の子供の死亡率の高さが伺えます。
地蔵での供養は、子供は成仏するために賽の河原で石を積むと鬼が来て積んでいる石を蹴散らすのですが、それをさせないよう子供を守るのがお地蔵さんであることからに由来します。



  野出墓地には、他にも力士の墓、義太夫の役者の墓と思われるものなど、調べれば調べるほどにさまざまな人生が、垣間見えてタイムスリップできるワンダーランドに思えました。