2014年8月3日日曜日

泉佐野市の「野出墓地」はある意味ワンダーランド

 大阪府泉佐野市内の「野出墓地」という墓地に立ち寄る機会があり、調べるほどにすごいと関心させられたのでそういう視点でカメラスケッチしてみました。

 場所は、関西国際空港連絡橋の入り口北東400m位のところですが、昔は、海岸沿いに所在していたそうです。広さは、約6000平方メートル、墓地内には松の木が7本あり海岸に位置していた面影を忍ばせています。墓地内は、新旧墓が雑然としていて無縁墓を含め墓石が約5000基あるといわれています。
しかし、和泉砂岩という加工しやすい石の墓は、多くのもので剥離がすすんでいました。
300年以上前の年号が読み取れにくくなっています。古いもので寛永の年号(1624)年も。
 松の木は、「野出の三昧松」と呼ばれ、昔、船漁師が、漁や寄港の目印としていたそうです。現在 は、上部は、切られたか、朽ちたのか低くなっていました。
ちなみに三昧(さんまい)は、江戸時代の火葬場の呼び名です。
手前の先の尖った墓は、軍人さんの墓で北側に集中しています。奥に見えるのは大きな墓ではなくりんくうゲートタワービルです。


 六観音六地蔵
 入り口入ってすぐの参道の両側に墓地としては巨大な石の六観音六地蔵が目に入ります。
驚くなかれこの石像は、元禄8年7月とあり(1695年)300年以上前のものなのです。


三昧場(さんまいば)
 今どきこんなものが現存しているのにびっくり、いわゆる火葬の台です。昭和27年に市内の壇波羅火葬場ができるまで使用していたそうです。
中央の蓮台は、座棺用、その左右の台座は、寝棺用とのことでした。蓮台は、生々しく焦げていました。左右の阿弥陀如来様には、元禄11年と刻まれています。




丑の刻参りの切り株
 参道入り口両側にある切り株は、イブキの木で昭和22年ごろまで「丑の刻まいり」の木として夜な夜な怨念の藁人形が、5寸釘で打ち込まれていたそうです。


サイコロ型墓石
 他の墓地ではあまり見かけない正四角柱に近いサイコロ型墓石が多く見受けられます。
みるとほとんどが釈号。ということは、浄土真宗。三昧場があることも頷けます。


豪商「和泉屋」さんの墓
 江戸時代この地に「食野家(めしのけ)」という楠木正成の子孫で廻船業や両替商を営む和泉屋という屋号の豪商(東の三井、西の和泉屋といわれるくらい)が、この墓地に墓を置いています。
個人墓または夫婦墓で結界をつくりように墓地内では異彩をはなっています。




豪商「橘屋」の墓
 食野家と肩を並べる同地の橘屋「唐金家(からかねけ)」と思われる墓。食野家は、至る所で見受けられますが、探したところおそらくこの一帯が、唐金家と思われました。



 両豪商は、多くの大名貸ししており、幕末に莫大な金を踏み倒され没落したとのこと。両家が、現代も健在であればおそらく世の中が変わっていたでしょう。

さまよえる墓
 さすが300年以上の歴史があるだけに無縁墓もハンパな数ではありません。無縁墓の隙間には骨壺も散見されるなど。墓の存続問題にも一石を投じる風景でした。





ご先祖様集合写真
個人墓や夫婦墓が多いので一族の寄せ墓が、ご先祖様の一堂に会した集合写真のように見えました。




墓という墓標の墓
 墓という墓標の墓を見つけました。こんなのあまり見たことありません。


地蔵墓
水子や子供の墓(地蔵尊)いたるところにあります江戸時代の子供の死亡率の高さが伺えます。
地蔵での供養は、子供は成仏するために賽の河原で石を積むと鬼が来て積んでいる石を蹴散らすのですが、それをさせないよう子供を守るのがお地蔵さんであることからに由来します。



  野出墓地には、他にも力士の墓、義太夫の役者の墓と思われるものなど、調べれば調べるほどにさまざまな人生が、垣間見えてタイムスリップできるワンダーランドに思えました。